第11回阿弖流為・母禮慰霊祭(アテルイ・モレ祭)の様子

少し前ですが、第11回阿弖流為・母禮慰霊祭アテルイ・モレ祭)の様子を投稿します。(資料をもとに、阿弖流為・母禮のことも書こうと思いつつ、どうしても資料が見つからなかったので・・遅くなりました)

今年はこれまでと違い、地域の学校園からはあまり呼ばない形式で行われました。(公園の真ん中ではなく、首塚の周りで行われるようにもなりました)

神事祭礼の後、牧野幼稚園さんやひらかた肝高倶楽部さんによる演舞がありました。新しい取り組みとして、スターダスト河内さんと小桜佳乃輔さんとのコラボ創作演舞が印象的でした。

演舞された皆様、そして保存会をはじめとするスタッフの皆さま、お疲れ様でした。慰霊祭という、厳かな雰囲気のなかでの式を守りつつ、これからも続けていっていただきたいと思います。

伝アテルイ・モレの首塚

片埜神社の隣の公園に『伝 阿弖流為 母禮 之塚』と記されている石碑があります。

阿弖流為(アテルイ)は8世紀の終わりごろの蝦夷(東北)の領袖でした。

征夷大将軍となった坂上田村麻呂が数万の朝廷軍を引き連れて侵攻した際にはこれを撃退した英雄として知られています。

802年に降伏し、坂上田村麻呂が蝦夷の首長アテルイと副将モレと多数の同族を引き連れてそのことを朝廷に報告しました。

坂上田村麻呂はアテルイの助命を嘆願しましたが、聞き入れられず河内国国内で処刑されました。『日本紀略』によると河内国植山で処刑されたとあり、この植山は現在の枚方市宇山と推定されています。

【場所】枚方市牧野坂(牧野公園内)

※アテルイ・モレの首塚について(枚方市ホームページより)

コメント

匿名:ご臨席、ありがとうございました。
例年の牧野幼稚園、牧野小学校、殿二小学校、三中(いずれも私の母校)、牧高などの演奏、ダンスは今回はテント設営の少子高齢化問題!?もありなくなり、本来の慰霊祭の気持ちを表現したカタチになりました。
塚のまわりで盆踊りを(できればそこに来られているみんなで)ささげることに深い意味があり、またアテルイ・モレ・家来たち・田村麻呂も望んでおられるように強く思い(感じ)ました。

そう、主役はアテルイモレそして家来たちの残し伝えたかった「想い」。その思いを「日本遺産PJ」で受け止めていきます。